ラダック

チベット死者の書

http://www.za.ztv.ne.jp/m-family/ladakh.htm

ラダック

                おおえまさのり
  ラダックについて
 ラダックはインド領であるが、地理的、文化的にみてチベットそのものである。
1973年に開禁された。入域許可は不要であるが、スリナガール〜レー道路の北1マイル以内、東はヘミスまでしか入れない。パキスタンと中国とに国境を接し、絶えず緊張のつづいて来た土地なため、道路は軍隊優先である。スリナガールからレーまでは、途中、カルギルに一泊して、丸2日間の行程。
 旅行シーズンは、6月から10月下旬。その他のシーズンは、雪のため峠が閉ざされ、陸上交通がストップする。
 観光案内所は、郵便局の手前を左に100mほどいった所のダック・バンガローの中にある。レーでは民宿をすすめる。(1日20Rs)。高山病にはほとんどの人がかかるけれどあまり心配ない。

 ラマの国
 西ヒマラヤの裏に、四方を、幾千万年の風化の時を耐えた不毛の山々に囲まれたラマの王国(かっての西チベット・ラダック王国)がある。
わたしは今、北面の切り立った山肌に、幾重もの層を成しで白亜城のように聳え立つティクゼイ・ゴンパ(僧院)の最上階の屋上に立って、幻のヒマラヤの奥深くから、世界の座の眺めを一望にしている。
 そこには、法輸の輪が金色に輝き、その左右には鹿たちが法に耳傾けている。四方には帽が立ち、5色の吹流しが乾いた風に舞っている。
 眼下には、無数の岩や小石がごろごろところがリ、その間に半ば風化した数知れぬ灰白色のストゥーパー(仏塔)が、幻の廃塘のように広がっている。 
 そのさまはわたしたちの聞かされたあの賽(さい)の河原にも似て、悠久の時を耐えている。その向こうへと山裾はなだらかに広がって、風化した砂漠のおもむきを見せてつづく。
 その砂漠の申をぬって、インドの宇宙観の中で、世界の中心とよばれるカイラーサの山の果てから流れつづけてきた一条のインダスの源流が、東から西に流れてゆくのが見られる。その流れのまわりにわずかな緑が見られ、人々はこのわずかばかりの水の潤いの地に、麦を植え牛や羊を飼い、あるかないかのささやかな生の営みを育くんでいる。
 流れの向こう岸は、山並みがいっきに6000メートルの高みまでつづき、嶺々には万年雪を頂いて南面をさえぎっている。西ヒマラヤ・ザスカルの峰々である。
 この僧院の背後の北面もまた、不毛の山並みがカラコルムの峰々までつづく。
 空はあくまで澄み切って青く、ぐるりと台地を囲んで幾重にも重なり合った山々は、白い雪のかんむりを頂いて、幻想のように淡く白く輝く。そのさまは蓮の花弁を思わせ、わたしはふと、世界の蓮の華のうてなに抱かれているのではないかという思いにとらわれた。
 再ぴ眼下に目をやると、かつての絹の道を黒いマントに身を包んだ人々が東へ往くのが見られた。道はインダスをさかのぼってカラコルムの脊梁を超え、チベット高原を横切って富嵩の山塊を越えて絹の国へと出る。
 ここはもう、東方への道の上にあると感じられる。

  密厳国土
 わたしはさきほどラマ僧に導かれて迷路のような回廊を通り、いくつかのくぐり門をぬけて、この屋上に立ったのであった。今再びその案内を受け、幾重にも複雑に分かれた内陣を導かれた。
 堂内に入ると、赤みがかった薄明りの中に、中央の左右にもうけられたラマ僧たちの読経の座が浮かび上がってきた。 
 机上には、緑色の大太鼓やシンバル、鈴(れい)や金剛杵(こんごうしょう)、そして経文の束が置かれているのが見られる。
 やがて、その内奥にはアヴァロキテーシュヴラ(観世音菩薩)が坐し、その前にはギー(精製バター)の灯明がたかれ、大きなトルマ(菓子で作った仏塔)が上げられているさまが、眼前にしだいに現わになってきた。
 その両側には一巻一巻木の板にはさまれた大部のチベット大蔵経典を収めた赤い書庫が並んでいた。
 本尊の裏に回ると、そこには歴代のラマや数ある化身のプッダたちの像が、密厳国土にふさわしく秘められて扉の向こうに安置されているのがかすかに望まれる。
また壁面には、数々の掛軸ようのタンカ(曼陀羅絵巻)が下げられている。
 タンカやブッダたちの像には、白くて梵い薄木綿のカタが、ラマに心寄せる民びとたちによって掛けられて、更にラマの世界を妖しくかきたてている。
 堂の外まわりの壁面もまた、チベット仏教(ラマ教)の字宙観を表わした数々の色鮮かな曼陀羅(マンダラ)や六道輸廻(りくどうりんね)の絵巻で埋めつくされている。
 そしていくつかの僧坊を訪れた。それからの方丈の部屋にはそれぞれに、壁面一杯の祭壇が築かれていて他には簡素なベッドーつ、座り机の上に経文と祭儀の用具があるばかりである。
 
幻の花
 これらのゴンパの中には、ラマの民のすべての夢が秘められているように思われる。
それは深く深く閉ざされて秘められているようである。
 いくら見ようとしても、人々はそこに、かれの微笑(ほほえみ)以外の何も見ることはできないのだけれども、それは人をして、秘められた何かがあると感じさせずにはおかないのである。
 わたしはこのラマの土地に立って始めてチベット仏教のその姿を、肌で感じとることができたように思われる。
 数々のチベット仏教の教理や文化についての幾多の本に目を通しても、またネパールやインド各地に難民生活を送るチベット人たちに接してもなおつかみえなかった内観を、わたしはいま手にすることができる。
 この風土の体感を除いては、チベットに花咲いたラマ教文化を理解することはでき難いと思われる。
 それほどまでにこの風土と文化は、わたしたち水と緑の世界に住みなれたものには、異空間異次元のそれと等しく、理解することのでき難いものである。
 この荒涼とした月のクレータにもたとえられる不毛の地で、仏法はまさしく、そこに住む民の、幻の花を咲かせるかっこうの生命の樹となったのだった。
 このチベットに始めて仏法をもたらした天竺(てんじく)のパドマ・サムバーヴァ(蓮華生一8世紀)は、かって中葉世の時代に海底深くにあったこの山塊に、幻の夢の花を咲かせた花咲か爺そのものであったにちがいない。かれは幻術をよくしたと言われている。
 ヒマラヤの山裾のひろがりに住むわたしたちは、その秘められた山のかなたに、シャングリラやシャンバラ、黄金の都や仏国土といわれる理想め郷を夢見つづけてきたものである、が、そのヒマラヤの民は、実に、その秘められた地に、幻の花を求めつづけ、1千年の時を止めて、ついに至福千年の、密厳国土の花を咲か世たのだった。

  ウイッチぱあさんの日
 密厳国士の法(ダルマ)の花の仏果、そんなものがあるとすれば、それは法を生きる人々のその輝きの内にこそ花咲き、花実ってあるものであろう。
 左右にぴんと突き出た黒い山高帽のようなこの地方独特のラダック・トッピを頭にぼんとのっけて、黒いマントに身を包み、ピンクや緑の帯をしめて、首にはユウ(トルコ石)にチル(さんご石)の玉を下げて、更には金欄緞子(きんらんどんす)の肩掛けかけて、赤い刺繍(ししゅう)の長靴はいて、ジュレー・ジュレーと片手で礼を返しながら、時と時の間を往き過ぎるラダックの女たちの姿は1千年の時と空間を超えて、魔法使いのばあさんたちの国に、わたしたちを誘うのに十分な風景である。
 それらの人々の枯れて透明な微笑(ほほえみ)の中にわたしは一つの仏果を見る思いがする。
その姿はアンデスの民などと似て、時を超えた古拙で穏やかな平和を感じさせる。その目に現世は幻の花と見えて、眼差しは、はるか西方浄土のかなたを夢見ているように思われる。
 チベットの守り神は観世音菩薩であり、菩薩は西方浄土の主、無量光仏・阿弥陀如来につき従っているといわれる。
 チベットの首府ラサに聳えてラマの国の人々の最も信仰を集めるポタラ宮殿は、救世観音ともよばれる観世音菩薩の現われた補陀落(ふだらく)であり、そこに住むものは観世菩薩の化身ダライ・ラマなのであると言われる。
 ここにはもう壮大な、世界観を超えた、宇宙観ともよばれてもよいものがある。ラマたちはその幻術によって、絶大な夢見をチベットの民に与えつづけてきたのだつた。

  ラマの幻舞
 人々の心の内に咲く幻の法術は、どのようにして蒔かれつづけてきたのであろうか。その一端を、ラダック滞在中に垣間見る機会があった。
 ラダックの都レーから東へとって、ティクゼイ・ゴンパをすぎ、更にインダスの流れを、ジープで1時間ばかりさかのぼってゆく。そしてインダスの雪解け水の濁滞と別れて、右へと山塊の山ふところへ曲がり込んでゆくと、山かげにラダックで一番大きな力一ギュ派の大僧院ヘミス・ゴンパがある。 
 ここで催されるヘミスチャーム ヘミスの大祭がそれである。
 6月の末の大祭の日、ラダックの民は、魅せられたものに吸い寄せられるように遠い砂の道をテントを担ぎ、鍋釜を下げて集まってくる。 
 日本の祭礼などに見られるように、寺の門前には縁日の屋台店が所狭しと並び、マニラコや木版刷のタンカやめずらしい飾りものなどが人々の目を引きつけている。
 人々は僧院の奥深くおもむいて、白い布の力夕に上げものを包んでリンボチェ(活仏)に拝して祝福を受け、ラマの勤行や祈祷にあずかる。そしで時あらば、マニラコを廻し、寺廻りをつづけて、静かなにぎわいがあたりを満たす。女びとの盛装は、白い憎院に晴れやかさを添えて、ぱっと花咲いているようである。
 七層を成して聳える僧院のさほど広くもない中庭には、正面の法座に年経たリンポチェを頂いて、その祭儀は始まる。かっての王国の末裔たちも、この席に座を占めているのが見られる。
 そして七層までの各層には鈴なりの人々がこの祭儀を見守っている。
 法座の左手にはラマの楽僧たちが座を占めて、恐ろしくも人骨の笛や頭蓋骨に人の皮を張った太鼓、そして緑色の大太'鼓やドラ、1間ばかりもある長大な笛や法螺貝を、ドン・ドン・ジャン・ジャン・ブワーン・ブワーンと、気の遠くなるようなゆっくりした間合いを持って、山に歌いかけるように高く、地をはうように低く、幻の楽音としか形容できない存在そのものの源初の音を奏で始めた。  体がその響きに震えるのが感じられる。読経がつづき、また楽音がこだまする。
 その時、僧院の本堂からラマ僧たちの扮した神々が舞い下りてきた。人面の2倍ほどもある大きな神々の仮面、額に第3の目を持ち、頭蓋骨の冠をかぶり、恐ろしい形相をした仮面、そして身には金欄のまばゆい大づくりの衣装をまとった神神一一
 ヴァイローチャナ(大日如来)を中心に、四方位の仏国土のそれぞれ特徴ある色とシンポルにバターンづけられた神々(如来たち)が、悠長で静かな舞いを舞う。
 そして次々に六道の数ある神々や妖怪変化が、怪しい舞いを繰り広げる。あるものは、ひからびた本物の人のミイラの腕を持って舞うのである。
  

 バルドの旅
 それは、ラマの字宙観を内にするもののみが、共にすることのできる一つの呪術空間であるといえよう。
 そこには、ただわずかな示唆的なシンポルやしぐさがあるばかりであり、ジャン(間)ジャン間)ジャン(間)ジャンとゆっくりと間を置きながら小さな輸を描いて舞いつづける。
 そこに繰り広げられようとしているものは、死と転生のドラマである。バルドとよばれる死後の世界における人間の存在のありようをドラマの中で垣間見せて、因果応報を説き、その迷える存在を救いうるラマの仏法の力を示すのである。

 たとえば、バルドの物語であるチベット死者の書『バルド・ソドル』には、このように語られているのを見ることができる。

お一けだかく生まれたものよ。聴け。
汝がそのように苦しんでいるのは汝自身のカルマ(業)から来る。
それは誰れか他のものによるのではなく、汝自身のカルマによるのである。
貴重なる三宝に熱心に祈れ。それは汝を守るだろう。
もし汝が祈りも識らず、「無上の象徴」あるいは「守護神」にどのように瞑想するかも識らなけれぱ、汝と同時に生まれた「守リ神」がやって来て白の小石で汝の善行を数え上げるだろう。
そしてまた、汝と同時に生まれた「悪魔」がやって来て黒の小石で汝の悪行を数え上げるだろう。
そのため汝は非常に驚ろかされ、畏怖され、恐怖させられ、怯えさせられるだろう。
そして汝は嘘を言おうとするだろう。
「私はいかなる悪行をも犯さなかった」と。
すると「死の神」は、「私はカルマの鏡を調べよう」と言うだろう。
そう言いながら彼は鏡の中を覗き込む。その中にはすぺての善行や悪行が鮮かに写っている。
虚言は彼に役に立たないだろう。
そして「死の神の?怒の執行官」の一人が汝の首に縄を廻し、汝を引き廻すだろう。
かれは汝の首を切落とし、汝の心臓を抜き取り、汝の腸を引っぱり出し、汝の脳をなめ、汝の血を飲み、汝の肉を食ぺ、汝の骨をかじるだろう。
しかし汝は死なないだろう。
汝の体が粉々にめった切りにされようとも、再び生き返るだろう。
繰り返されるめった切りは、激しい痛みと苦痛を引き起こすさろう。
その時でさえ小石が数え上げられている。
驚かされ、恐怖させられるな。嘘を言うな。「死の神」を恐れるな。

  「チベット死者の書」シドパ・バルド審判より

 第1日目の祭儀が終り、第2日目もまたラマの勤行で夜が明ける。
2日目の昼のまどろみの中、人々の雑踏をかき分けて、突如、馬やヤクや犬たちが、むちにひっぱたかれて、疾走してくるのだった。そして寺を一巡りしてまた群衆の中を疾走し去って、これが3回つづくのである。
 この時人々は、この1年の間の自分たちの悪いカルマ(行ない)を、これらの動物たちに背負わせて持ち去ってもらおうと、どよめくのである。
 そして仮面劇の最後には、ふくよかな人の顔をした黒いハッシャン(ほてい)さまが現われて、この世の福を確証して、ラマの幻舞は終りを告げる。
 ラマの幻舞が舞って、その法術の宇宙の中に、人々は2日の時を酔い、2日の終りに、人々は救われるのである。
 

  秘められた教え
 このように、輪廻し転生してゆく生と、その字宙観が織りなす妖しく美くしい曼陀羅の世界、そしてそれらを確証するところの法(ダルマ)の力を秘めた呪術によって支えられてきたラマの世界は、インドに発した仏教のチベット的展開を鮮かに見せつけられる思いであった。
 究極の教えは秘められたまま僧院の奥深く閉じられて、数々の仏教の方便とかれらの存在を確証させる呪術が、ヒマラヤの民に与えられつづけてきた。
ラマはカルマの嵐を説き、その民の眼差しは、はるか西方浄土へと向けられたままである。ヒマラヤの民は、その方便の中に絶対を見た。
 そして時はとどまり、このヒマラヤの奥深くに、ラマの1千年の花が咲きつづけたのであった。

 一つの王国
 わたしはこの幻のヒマラヤの中の蓮の華の座に坐りながら、異空間に吸い込まれるように、千年王国の世界に歩み入っていった。
 外なる千年王国は内なる千年王国となっていった。時はゆったりと止まったまま、永遠の今から永遠の今へと歩みゆくばかりである。
 また空間は、彼岸と比岸の環が閉じられて、もうどこへ行きようもないこの比岸永遠のここ、世界の座があるぱかりである。
 この時わたしは千年王国というものを了解した。それは時をとどめる申にこそある王国であると。
千年王国は1千年という時のうつろいの中にではなく時をとどめて一一永遠の今から永遠の今へと歩みゆくその中にあるものだと一一
心はもうどこかへ動く必要はなかった。明日を思いわずらい、過去を思いわずらうことも。かなたとあなたのことを思いわずらうことも。
 心はいまここにあっていまここに息づいているのだった。
 幻の王国は一幻夢ではなく一そこに永遠の今のただ中にありつづけた。
 しかしそこには、ラマも仏陀も吹っ飛び西方浄土阿弥陀や56億7千万年後の弥靱さえも吹っ飛んでない。
 そこにあるものはといえば、大いなる存在の状態の輝き、一つなる字宙があるばかりであった。
時は「いま」であり、場所は「ここ」、「一つ」ながらの王、「一つ」ながらの民のいるばかり、そんな国、「一つ」の千年王国。幻のヒマラヤの中、蓮のうてなの上にあって、わたしはもう、幻想の申にいるのか、現実の中にいるのか定かではない一ただ「一つ」という存在の状態の輝きのあるばかりである。
 ひとつの字宙神話が、わたしの耳許にささやかれる。
「存在のその源初において、存在がいまだ存在でなかったその時、宇宙創成のその始まりにおいて、そこには時間も空間もなく、ただ一つなるものがあるばかりであった。そのようにして無窮の時が流れた。
ある時それが、一つなるものの心が動いた時、二つになった。その時そこに時間と空間が生じて、ものすごい速度で連鎖反応的に宇宙が創られ、宇宙は拡大していった。
字宙という存在は、存在するものの存在なるものへの根源的な恐れ、存在のもつ生老病死の苦を、その始まりから、一つが二つになったその時から、存在の宿命(カルマ)としてその内に秘めていたのであった。
 その存在の持つ存在への恐れというものが、それに取って代わる絶対を求めさせ存在を確証する教えと力を求めさせたのだった。
 そして数々の存在の哲学が、この幾千年の間に現われては消えていった。
 それらは存在への呪術であり、そしてまた存在に対する呪縛ともなっていった。
 その姿は、存在するものの苦悩そのものの姿のように見える。
存在の苦悩は、存在そのものを超えてしまうことによってのみ滅すると共に、存在はその存在の源に立つことができる一(宇宙神話はささやきかける)時間と空間を超え、二つの世界を超えてしまうことである。
 時間を止め、空間を止めて、永遠の今と永遠のここの内に、一つの世界に在ることである。
そこは存在のカルマも、入り込みようがないところ 一つ。56億7千万年後の弥靱の救いとは、これである」

 世界の一切は幻のかなたにあり人類の文明のカルマ(所産)が何であれ、カルマの内にあるものは滅び去る。
 世界は幻であり、人もまた幻である。
 わたしの幻夢が幻のヒマラヤの中に舞う