ゴア

ゴア

http://www.za.ztv.ne.jp/m-family/goa.htm

ゴア

ゴアへゴアへと草木もなびく

ボンベイアラビア海を右手に見ながら南下すると、“天然の良港”ゴアに着く。(ゴアは州名)
熱帯性気候に位置し、11月から3月にかけてが、最も良いシーズンとされる。
 1961年までポルトガル領であったため、いだるところで、その名残りが感じられる。かのフランシスコ・ザピエルさんもここで永眠し、礼拝堂に安置されている。
 貧乏旅行者が、疲れた羽を休めにやって来ては、アンジェナやコルバに消えていく。
近年、タージマハル系列の高級ホテルが建っだり、インド政府が、ゴアを国民保養地に指定したりした為に、色々と規制が多くなりそうな気配があるが、イント版カルフォルニアの人気は、上昇するばかりとなっている。

ビーチいろいろ

Gaspar Dias Beach
ギャスパービーチ
通称、ミラマーと呼ばれ、マンドヴィ川の近くにある。パナジから一番近いビーチだけれど、あんまり泳ぐには適さない。


Calangute Beach
カラングートビーチ
パナジから15km離れたところにある、比較的通俗的なビーチ。いわゆる、日本の海水浴場という感じで、イント人の観光客なんかがサリーのまま、水遊ぴをしている。
タ方になると地引き網が引かれ、エヒやら魚やら、言い値で分けてもらえる。

Colva Beach
コルバビーチ
マルカオから6kmにあるヒーチ。人も少なく、砂浜も良質で、ゴアで一番ゆっだりしたビーチ・ライン。
アラピア海は、だいたい水の色が緑っぽいから、沖縄とか与論のあの青はあまり期待できない。

ハウ・ツー・ゲット・ゼア
  どうやってって行くの?

 パナシからネイルブリッジを渡るとアスファルトの1本道が続く。水田の真中のあぜ道を少し太くした様な道だ。
 途中、SANGODAの村を過ぎると、クリスチャンの家が多くなる。クリスマスの時期になると星型の灯りを家の屋根にぶら下げて盛大に祝う。パーティもあっちこっちであるからこの時期はヒッピー人口も多い。下り坂を自転車で降りてくる彼等を見ていると、朽ちはてたレンカの建物なんかととてもマッチしていてサンセットブルーハートなんかみたいだよ。
 アンジエナ自体はたいしたピーチじやないんだけれど何故か多数のオーストラア人、ヨーロビアンがこの近くに住みついて素裸で日光浴をしている。
 最近、裸をさかなに一杯やるイント人が双眼鏡をブラ下げて出没するので、こまったこまつたと、かわいこちやんが言ってました。
 彼らはビーチの近くの民家を月極めでレンタルして4、5人で共同生活をしている。これといったホテルもないから、中にはゴザを四隅にたらして住みついたり、ワーゲンにほったて小屋みたいなものを作って寝とまりしている者が多い。マプサやカラングートに買い出しに行く時は、オートバイに合乗りして行く。毎週日曜日は「フリーマーケット」があり、主に外人旅行者の不用品をゴアの人が買つて帰る。イタリア人・フランス人はあまり手くせが良くないからくれぐれも気を付ける様にとか言ってたよ……。ドラッグ類は下火だがプッシャに頼めば「ブラッグピラミッド」なんかも手に入る。
 ここよりもう少し北に行くとシャプラという所がありアンパレーレイクという湖なんか、最高にステキな所だ。君も来る?

何を食べるか?

 ゴアはインドでも最も海を感じさせてくれるスペースだから、海産物を主に食べれば、安あがりだしおいしい。
 伊勢エビ5〜10Rs(一匹)、かつお3〜5Rs(一匹)という具合いだから毎日伊勢エピを食べてもたいした出費にはならない。
 レストランも味は良く、ボルトガル風味つけだからグラタンなんかもけっこういけるよ。
パスコダガマヘ行けば大型漁船がたくさん停泊しているからほぼどんな魚でも手に入る。(しょう油とワサビを持参すればなおさら結構)
 フェニーというココナッツやカシュナッツから作られる地酒は少しテキーラに似ているがそんなに強くもない。またゴアで作られているワインは相当甘口。




       コーショー旅日記

  
 ボンベイから汽車に乗って夕方ようやくマルガオに着いた。
お尻が痛い。これ以上旅を続けるのはきついので、今夜はここで泊まる事にした。
なにしろ安宿に泊まることが多かたし、列車の疲れもあったので、2〜3ホテルをあたってみて、ちょっとリッチで手頃なホテルに決めた。
やはりしっかりしたベットと、温水の出るシャワーに、体をつけることのできるバスタブ(風呂)、備え付けの新しいタオル。シャンプーで頭を洗ったし、最高に贅沢ジャン。たまにはこうしないと長旅の疲れが取れないからね。
それでも日本のホテルの何分の一の料金で済むのだから。

翌日、コルバビーチにバスで行った。
小さな漁村なのだが、中央が広場になっていて、そこにバスが留る。
そして、そこは取れた魚の市場になっていて、漁があると漁師のおじさんやおばさんたちが、かごに捕れた魚を入れて売っている。
この海は豊かなのだろう、いろいろな魚が売られている。

人だかりがあったのでのぞいて見たら「ドルフィン」と言っている。
イルカ食ってもいいんか?ま、何でもありですな。

 海辺の小屋を借りる事にした。土間に木のベット、木のテーブルにイス、木のドアにあってもなくても変わらないようなカギ。
ま、平和なんでしょ。泥棒も少ないみたい。やはり海が豊かなんだね。

さっそく、ビーチに行ってみた。
もちろんビーチパラソルや浮き輪なんて全く無い。
ただ、広々とした海があるだけです、はい。
しかしですよ、そこに胸の水着を着けないトップレスの金髪のお嬢さんたちが、泳いでいたり、日光浴していたり・・・いいですなぁ。
僕も少し泳いで、後は薄目を開けて日光浴(?)。

 近くの海辺のレストランで食事をした。さすがにポルトガル領だったため、インドの辛口ではなく、どことなくマイルド。日本人にはなじみやすい美味しさだ。
フィッシュ(魚)のフライ(カトリックの住民は日本人みたいに残酷な生で食べたりしません)、やシュリンプ(えび)やクラブ(かに)のリゾットやフライドライス(炒めご飯)やスープ。
最高に美味しい。

 広場に行けば、屋台が出ていて、サモサ(カレーコロッケおいしい)や椰子の実の上部を割ってくれた取れたてのココナツジュース(甘くておいしいが、なれないとちょっと青臭い)。

 2〜3日も住めば、もう近所の外人たちとお知り合い。顔を合わせば「ハーイ」、途中で会えば「シーレイト(また後でね)」なんて言っちゃって、レストランで一緒に食事して、バカ話しに大笑い。
もちろん彼らとは英語で話す。日本語なんて通じるわけ無いしね。どんなへたな英語でもいいんだ。彼らもアメリカ人やイギリス人ばかりじゃないからね(その場合もあるけど)、同じようにへたくそな英語でやさしい単語で話してくれる。分からなければ何度でも繰り返して話してくれる。僕らも頭の中にあるありったけの英語の記憶を呼び戻し、何とか聞いてもらおうとして一生懸命に話す。どこどこでこんな目にあったとか、こんなおもしろい体験をしたとか、こんなドジを踏んだとか、あそこのメシはうまかったとか。とにかくみんなそんな話が聞きたくて、たのしみに僕らが話すのをじっと待っていてくれるんだ。意見が合えばイエスエス(そうなんだそうなんだ)とあいづちをうち、おもしろい話には皆で大笑いをするんだ。だから夕食なんか2時間も3時間もかかってしまう。単語などの使いまわしが分かれば中学レベルの英語で十分会話ができるんだ。経験すれば身に付くのです。

 夕方はゴザを持って海岸に行って、砂浜に座り、アラビア海に沈む夕日を見ました。
こうして、コルバビーチの夜はふけていきました。 

夜行バス
 ゴアからボンベイ行きの夜行バスに乗った。
料金が安いのでリクライニングシートなどにはなっていない。普通のシートで一晩中走るのだ。さすがに熟睡はできないが、それでも旅慣れしてくるとそれなりに眠る事ができる。

 バス停に止まっていたバスは夜10時に発車した。数分もすると町の明かりは無くなり、暗い大地の中の一本道をひたすらバスは走り続ける。街灯もたまにしか無く、信号もほとんど無い。たまに荷物を運ぶ色鮮やかにペインティングされた大型トラックや、タンクローリー車がすれ違うだけだ。窓の外は見渡す限りの暗い大地が続く。

 インドのデカン高原などは、気温が昼間40度近くもあり、あれほど暑かったのに、夜になると10度近くまで気温は一気に下がる。インドの乗客たちは持参した毛布などを体にかけている。私はリュックの中から急いで服を引っ張り出して重ね着をして寒さをしのいだ。

 夜中の2時過ぎに給油のためにドライブインに停まった。ドライブインといってもガソリンスタンドと小さなキヨスクみたいな売店が1つあるだけだ。数人の乗客がトイレのために下車した。私もバスを降りた。夜風がとても冷たく感じた。電球で照らし出された売店でコーラとBISCOのビスケットを買ったて、無造作に置かれた木製の長いすに腰掛けて星空を眺めながら一服した。
 しばらくしてバスがブルン・ブルンとエンジンをかけたので外に出ていた乗客は皆バスにもどり、また夜の暗闇の中をバスは走り出した。私や乗客は皆、眠りについた。

 目が覚めると、あたりはだいぶ明るくなっていた。朝もやの中をバスは走り続けている。ボンベイに近づいているので、回りの景色もだいぶにぎやかになってきた。車もたくさん走っているし、通勤の人達の姿もたくさん見られるようになってきた。やがてバスはボンベイ市内に入り、鉄道とはまた違った体験をして私のバスの旅も無事終了した。