カルカッタ

金田卓也

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カルカッタ

                   金田卓也
                ネパールやインドやパキスタンに関する童話作家
 
 カルカッタを語る時、ある者は目を輝かせ、そのごちゃまぜの凄まじさの魅力を語り、又ある者は目をそむけんばかりに醜悪なものでも見たような顔をする。
インドをカルカッタから始める者も、汗と垢にまみれてインド中をさまよって最後にカルカッタに流れこんでくる者も、皆ここでその魂を激しく揺さぶられ、その洗礼に驚愕する。

     FROM THE EAST
ベンガル湾からの熱い風の吹く、だだっ広いダムダム空港をインドヘの最初の入口とするなら、まずインドーきぴしい税関吏との対決から旅が始まる。
空港から市内まではリムジンバスで5ルピー、タクシーでは20ルピーが相場である。ホテルは 安いホテルが集まっているサダスストリートで選ぼう。そこならどのタクシーの運ちゃんでも知っている。
ドライブは約30分、緑の平野を走る快適なハイウェイをしばらくゆき 突然雑踏の中へ入る。
溢れんばかりの人と物と、それをつつむコパルケーキの燃える匂いと土埃。
この鮮烈な光景を日にすると、いやでもインドヘ、そしてカルカッタヘやってきた、という実感がわいてくる。

     FROM THE WEST
西の、乾いた大地のかなたから列車でやってくるのなら、車窓の景色がココナツとヤシの緑に変わり始めたころにカルカッタが近いことを意識する。
ここまで鉄道旅行を続けてきているのなら、いまさら駅の混雑や客引き驚くくことはないだろうけれども、ここカルカッタのハウラー駅、シールダー駅前では、タクシーなどの他、本物の人力車や馬車が客を待っている。
とくに人力車の寄引きがしつこく寄ってくるけれども、ホテル街まではけっこう離れているからタクシーかバスを利用しょう。

    ニューマーケットカルカッタの買物
植民地時代の面影を残すヨ−ロッパ風の建物が並び、一流のホテルやレストラン土産物屋が集中しているチョーリンギー通りの中心部、オベロイホテルの裏にはレンガ造りの異様なマーケット、ニューマーケットがある。
「ヤスイヨ カワナイカ」「ミルダケ、ミルダケ」と、変な日本語で、自称案内人が何人もついてくる。胸に名札をつけた人が本物みたいだが信用するのは考えものだ。
決して安くはないし、日本のデパートのインド物産展で見るような品物がはとんどで 知識がないと日本で買うより数倍高く売りつけられ、ガイドまでそれを「リーズナブル」なんて言うから見物だけで済ませた方がよい。

 カルカッタの庶民が買物をするのを見たかったら、カリガット近くのゴリアテマーケットが勧められる。ここは庶民の市場だ。
ニューマーケットに比べりゃ格段に安いし、値段の交渉に苦労することも少ない。
ここでクルタ(インドシャツ)やチャッバラ(サンダル)布製のショルダーバッグなどを買いそろえるといい。特に布製のショルダーパックは、世界有数のジュート産地のものだけに他の土地の綿製のものより項丈だ。
そしてこれはインドの人々の生活必需品でもあるから安い(5ルピーから10ルピー)。
学生も、おばちやんも、サラリーマンも、役人も、カラフルで素敵なバックをさげて道を歩いている。
日本ならさしずめ風呂敷といったところだろうけど、最近は日本と同じようにアタッシュケースなんかがサラリーマンたちの間ではもてはやされ始めている。
あと衣料品を買うのならラビンドラ・サロヴアール(一般に「レイク」と呼ぶ東京の石神井公園みたいな大きな池を中心にした市民の憩いの場所の近くのガリハツタ通りのガリハツタマーケットがいい。

 サリーやドウテイ(男性用腰巻)クルタ、背広、などの専門店がラシュビハリ通りとガリハツタ通りの交差点を中心に100はあるかと思われる。露店を含めたらもう数知れないくらいだ。
そしてここには衣料だけに限らず、装身具の店、シタールの店、民芸日用品の店刃物の店、便器の店、鞄の店などカルカッタの人々の日常生活を知らせてくれるさまざまな店が密集し、毎日毎日それこそお祭りのようににぎわっている。
ここでスーツを仕立てることもできるし一日がかりでサリーを選んでも楽しい。
 また旅の柊りならバックパックやザックを本皮のごつい鞄と交換するのもいい。
いささかやぼったい形だがぬくもりのあるデザインで、スーツケース大のものでも新品で買って100ルピーほどだ。
とにかく買う気なんかなくてもいい、ただ見物しているだけで楽しくなってくる。

 最後につけ加えると、ゴリアテにしろガリハツタにしろ、旅行者はめったに行かないから英語は全然といっていいくらい通じない。
おまけに相手は陽に焼けたぼくたちをネハールかアッサムからの旅人とまちがえてるかもしれない。
こういう時はもう自分は日本人だなんて説明を汗かいてするひまがあったら大阪弁でどんどん値切っちゃおう。こらは絶対楽しいことうけあいだ。

   パークストリートからフリースクールストリートヘ
パークストリートのSASやTGの向いのあたりから、フリースクールストリートにかけてはカルカッタで最も洒落た部類のレストランが点在する。
 北京、Ban−BーQ、 BLUE FOX タンドールオリンピア SUJATA スカイルーム、香港、金龍 豪華などがそれで、残念ながら日本料理はないが,充分、良質な食物が飢えた我々を満たしてくれる。

   中華料理
 先ず中華料理では「豪華(ハウハ)」と「Ban-B-Q」が勧められる。
 豪華はフリースクールストリートに面しており経営者は中国人で 応対も実にそつのない中国人のウェイターが取りしきり、自慢のチムニースープ、お昼のクイックランチ(スープと2品で2Rs)など、あっさりした味付の日本人向け。
水曜はノーライスデーなので米の料理は食えないから注意。
 Ban−B−QはSASのほぼ向いにあり、日本の商社マン、エンジニア等もよく集まるバーを兼ねたレストランで経営者は英国人。
効き過ぎる冷房とナイトクラブのような照明に始めは西洋料理の店かと間違うはどだ。
多小かための感じの店でラフスタイルで入ってゆくと常連でも屋根裏のような二階へ案内しようとするが、にっこり笑ってそれは遠慮しよう。
こちらの態度の大きさでサービスも変ってくる。自慢料理は入宝菜と鮫子(チキンモウモウ)で、これをつまみにビールでも飲んで最後をフライドライスできめよう。中華料理は多人数のほうが楽しいし安くつく。おまけに我々日本人には食べ易いときている。
休日には中産階級のインド人の家族連れが食べに来て、頭をきれいにとかしてネクタイをしめたお父さんが子供といっしょに中華のメニューについてボーイに尋ねている光景なんか、なかなかほほえましい。
料金は3〜4人でたらふく食べてひとリ20Rs〜30Rs。人数が増せばそれだけ安くなり、スープと酒で値段に差が出る。

   インド料理
 次にインド料理だが 安くて本物のイ、ド料理がどこででも食へられるのだがここパークストリートのタンドールでは、それらはすべてを超越した最高の宮庭インド料理を食べさせてくれる。
足もとがよく見えない程暗い室内でキャンドルの光とインド音楽の中、極上のタンドリチキンをむさぼり食うのだ。
各種カレーもまた実にうまい。サフラン色のリキュールASHAでも飲みながらインド料理の醍醐味を満喫しよう。
アペタイザーからデザートまで、しめて100Rsは必要。

 最後に西洋料理
これは高級ホテルのレストランを利用すればいいわけなのだが、味とムードの点からパークストリートの「スカイルーム」、及び変り種、コロニア風ガーデンレストラン「ニューケネルワースホテル」を勧める。
「スカイルーム」はサラダがやけに貧弱で値段が高い意外は、我々の感覚に一致する。
上流階級の目のさめるようなパリモードの女の子なんかも来ていて、仲間うちで英語の会話なんかしてるので、始めはインド人かどうかよくわからない程だ。
クラブサンドイッチとコーヒーでねばりながら彼女達と友達になるチャンスをうかがうのもテだ。
うまくゆけはインドに対する印象をそれまでの数百倍強烈にしてくれる彼らの生活をかいま見ることができるかもしれない。
「ニューケネルワースホテル」は日本総領館の近く、ミカドという名のバーも併設しているホテルの中庭を夕方からレストランにしたものだ。
夕涼みをしながら芝生の上でジュージュー音のするビ一フステーキとビールを楽しむ気分は格別で、経営者のインド人にもこの気持はわかるまい。ステーキはせいぜい10Rsどまりでめっぼう安い。
食後は近くのマイタンを散歩するのもよい。
 インドではヒンズー教徒は神様の使いである牛肉は食べないし、イスラム教徒は豚肉は食べない。インドで肉といえばほとんどが羊の肉であるが、一般にビーフというと水牛の場合が多い。
ヒンズー教徒にとって水牛は牛ではないのである。ただ外国人の経営するホテルやレストランでは牛肉を出すところもある。

       インド博物館
 サダストリートからチョーリンギ通リヘ出たところにあるインド博物館は、上野の森の国立博物館より大きくて古くて、実にいろんなものが並べてある。
100年前に建てられたという、このイタリア風のばかでかい建物の中には、恐竜の骨から始まる考古学の分野から、仏教、ジャイナ教 ヒンズー教などの宗教芸術の分野にとどまらず、動物、植物、鉱物の標本や現代産業の展開に至るまで、実に無造作な展示がなされているが、これをじっくりと時間をかけてみてまわると、インドという巨大な国の重みと厚みを、ずっしりと手ごたえを持って感じとれる。
いったい何年かかって、どれだけの人間がこれだけを集めたかは知らないが、その作業の実直さと膨大な仕事量の証明を目のあたりにすると声も出ない。
博物館なんて堅苦しいところは嫌だと思つている人もとにかく入ってみよう。
 昔、中学絞の理科や社会の資料室でそうじ当番をさせられた時の、あの部屋にしみこんでいたなつかしい匂いにひたりながら想い出をたぐるのも楽しい。
また、インドは日本と違って、娯楽施設があまりないから、田舎から出てきたおじさんやおばさんも子供といっしょに、この博物館の中で僕たちと同じようにフラフラ歩いているが、もしかすると展示されているのと同じ民族衣裳やターバンをつけたおじさんが隣からおずおず話かけてくるかもしれない。
これからインド各地を旅する人は、ここでインドの人々の生活に対する予習ができるし、また旅の柊わりの人は、今まで旅してきたことのおさらいと、想い出の整理ができるわけだ。

     マイダンの競馬場
 一日中、芝生でねころがったり、木陰でリスと遊んだりできるマイダンでは、夕方になるとオフィス帰りの人々や恋人たちが涼を求めてやってくる。
カルカッタのどまんなかというのに、ここは本当にばかでかい公園だ。
 ここでは時折、スポーツクラブのクリケットやサッカーの試合もやっているが、なんといっても圧巻は何週かおきの週末に催される競馬である。
ここのレースコースはまったくのイギリス的コースで、一周2600m、芝はかなり深い。客席からコースを望むと真正面に白亜のビクトリアメモリアルが浮かんでみえる。
ターフクラブの席はゴールの正面にあって、お苓を飲みながらレースを眺められるしくみになっている。
一般の入場料は4ルピー、突然行ってもなかなか馬券はとれない。馬券は、単勝(WIN)複勝(RACE)連勝複式(QUINELLA)で、5ルピー、10ルピーがあり、他に二重勝(DOUBLE EVENTS)、三重勝(TREBLE EVENTS)、四重勝(QUARTET POOL)で10ルピー。二重勝、三重勝の類は、決まったレースの勝ち馬を全部当てる、ということだ。
予想誌も2〜3誌ある。日本のとは違ってちゃんと小冊子の体裁はととのえていて、レース結果は馬中心にかかれている。
まあ、賭けようとさえしなけれはけっこう本場の競馬のムードを味わえる。レースが終ったらビクトリアメモリアルの反対側、フーグリ河の向うにゆっくりと沈む夕陽をながめよう。なんともいえぬエキゾチックな気分にひたれる。


       チャイナタウン
 ラビンドラサラニをハウラー駅に向かって進んだ時、ティレツタバザールの手前で右折すると、舗装された広々とした道はそこで終りをつげる。
ほんとに、ここらで泥道なんてのはめずらしいかぎりなんだが、とりあえず水たまりだらけの道脇には靴屋やら酒屋やらが軒をならペる。
「・・・金舗」といった名前の漢字の看板が、何か奇妙なイメージだが、集まってくる子供達はあきらかに僕らと同じ肌の色だ。
すこし行くと 場所が場所なだけに族行者はまずよりつかないが、かなりイケルお店「クンガレストラン」がある。
ここはチベツタンレストランなんだが、ボンベイのシーハイ同様、最高にうまいタローヌードルスープと飽子2皿、ミックスチョーメンとミックスフライドライス、それに酢豚で36ルピーの超安値、3人が大満足できる。
店を出て、路地を奥へ進むとだんだん回りの眼が気になりはじめる。
 本来いるはずのない人間がそこにいるというのは、僕たちの日常においても不審このうえないのだが、そんな、いぶかしげな視線が体中に痛いほどだ。
あちこちにひるがえる洗濯物と姦しい女達のむき出しの好奇心。生つぱを飲みこむような気持で路地を抜けると元の大通りに出た。
見上げんばかりの大きなビルの足元にそこだけ回りから隔絶されたチャイナタウン。

     カ車とトラム(市電)と地下鉄
カルカッタ交通機関のうちで 何といつても目を引くのはカ車とトラムだろう。
インド第二の都市なのに素足でカ車を引つぱるおじさんがいて、他のどんな大都市に行っても見れない、電気で走るトラムが動いている。
 力単に乗って、上から 引いてるおじさんの黒光りするやせて細い肩が一歩進む度に一生懸命ピクピク動くさまを見てると実際胸が痛む。でもそれをかわいそうだなんて思ったらボラれちゃう。
彼らはそんなに遠くまでは行ってくれないけど上限2ルピーてところ。白亜のヴィルディングがそびえる街中をカ車でのんびりいくのもなかなか趣がある。
 夜、このおじさんたちはボン引きに早がわりする。紹介料5Rsくらいか。
パークストリート周辺とハウラー駅の近くが比較的良質?なんだそうで、特にパークストリートの近くのあるお店は、現地にくわしい日本人医師が折紙をつけたとか。またこのへんのマンションには各国商社マンの集まる秘密クラブがあるとも開いている。
 一方トラムの方だが これにはちゃんと女性優先席までついていて、なかなかゆきとどいてはいる。
ただし、朝10時ころと夕方5時ころのラッシュアワーは避けよう。トラムじゅうに人間がしがみつくという感じで、あれだけの人間を乗せてまあよく動いているものだと感心してしまう。
これではせっかく朝ちゃんとシャワーを浴びて、家族と早めの昼食をとってから、わざわざゆっ<りと出勤したり学校へ出かけたりする意味がないというものだ。
もっとも、今カルかソタでは地下鉄を建設中で、もしこれが完成すると朝夕のラッシュはぐっと緩和されると言われているが本気でそう思っている人は少ないのじゃないかな。
しかし カ車とトラムと地下鉄がごちゃごちゃに存在して、それが当然で全然おかしくない都会、こんなところ世界中にここ以外ある!?
オー、カルカッタ

  ベンカルの農村
カルカッタの大都会にあさたら、周辺の田舎へ出かけてみよう。農村こそ、ほんとうのインドの姿なのだ。
ごちゃごちゃしたカルカッタの町をぬけると、タゴールがうたった黄金色のベンガルの大地が続く。

   ピシュヌプールと「大地のうた」
サタジット・レイの映画「大地のうた」にでてくるような典型的なベンガルの村に行きたかったら、ビシュヌプールに行こう。
 ビシュヌプールは、ほんとにレイの映画の中にも出てくる、ヒンズー教の遺跡のある小さな町だ。
ビシュヌプールまでは、カルカッタから西ヘバスで約4時間。カルカッタのマイダン公園から毎
朝バスが出ている。朝早く出発すれぱ、荷物をのせた象も歩くのどかな田舎道を通って、お昼頃には、もうビシュヌプールだ。
 ここには、数百年前に建てられた、見事なテラコッタレリーフをもつヒンズー寺院の遺跡がたくさん残っている。そしてヒンズー寺院があるので、お参りに来る人も多く、ベンガル政府直営のツーリストロッジや、その他簡便な旅行者用宿泊施設がいくつかある。旅行者用の宿泊施設といっても、インド人の観光客やお参りの人のためのもので、外国人ツーリストはめったにやって来ないから、外国人ツーリストにすれていなくて、人はみな素朴で親切だ。
 ここでは、リキシャの運ちゃんも、高いことぼったりしない。
そんなときは、1ルピーでもはずんでやろう。運ちゃんも、お寺の前に来ると、リキシャをとめて神さまの前で静かに手を合わせる。
 ここビシュヌプールでも、ちょっと歩いていけぱ、レイの映画のワンシーンを見てるような、自然とともに静かに暮らす農民たちに出会うことができる。
広い草原の中に、わら屋根と泥でできた家がぽつりぽつり建っていて、ココナツの木や大きなバニヤンの木が涼しい木蔭を作ってくれる。大きなバニヤンの垂れ下がった枝は、子どもたちの大好きなプランコだ。
ときどき、真ちゅうの大さな水瓶をもって水汲みに行くおばさんとすれちがい、レイの映画の主人公オプーの父さんみたいなプラーミンのおじさんが、大さな黒いこうもりがさを持ってやってくる。ときには、お茶の一杯でもごちそうしてくれるかも知れない。
 質素な家の中は、きちんとそうじされて、部屋の隅には、ヒンズーの神さまが、きれいに飾ってある。
土間の台所では、奥さんが、夕食のカレーの材料を、この地方独特の包丁でていねいにきざんでいる。
ベンガル地方では、まな板を使わず、包丁が木の台に固定されていて、材料の方を動かし切るのだ。
日常生活のちょっとしたところに文化の違いというものが出てくることがわかる。
女の人たちはたいてい裸足だけれど、足の裏には、赤い色をぬっている。これは都会ではもうずいぷんやめてしまった、古い習慣で、きれいに見えるぱかりでなく素足をブッシュから守る役目もしているっていうから、昔の人の知恵というのは大したもんだ。
ビシュヌプールは、白い貝のプレスレットの細工でも有名なところで、お嫁さんたちがベンガルの各地からこのプレスレットを買いにやってくる。結婚した女性は、だれでもこの白い貝のプレスレットをつなければならないのだ。
 寺院の精巧なテラユッタのレリーフもすぱらしいものだが、寺院の脇の小さな露店で売っている、素朴な素焼きの小人形もすてきだ。色のついたクリシュナや神さまの人形もなかなか、かわいい。もし、お店の品物が品切れになれば、店のおじさんが駆け足で、テラコッタを焼いている所まで走っていって、人形をもってきてくれるような、そんなところだ。実際に、人形を粘土でつくリ、昔ながらの方法で焼いるところだって見せてもらえる。

    ビシュヌプール駅では
 ビシュヌプールからの帰途は、バスもいいけれど、鉄道を利用するのも楽しい。ビシュヌプールの駅は、ツーリストロッジから、リキシャで約10分。小烏のさえずりがうるさいほどの小さな駅だ。
のんびりした駅のホームでは、やさしい顔をした聖者(サドウー)が、駅をすみかにしたちにえさをやっている。こんなところで出あうサドウーこそ、ほんもののサドウーにちがいない。
 インドの鉄道駅というとデリーやカルカッタの騒々しい混雑したところを想像するものにとっては信じられないような静かでのどかな風景だ。
 早朝一番列車に乗れば、途中の駅でスチールエキスプレスに乗り換えればならないけれど、お昼にはカルカッタにつける。
 ロ一カル線なので、乗客はたいていお百姓さんで、ほっかぶりをかぷって、腰には布切れをぶらさげた人の良さそうなおじさんたちばかりだ。
 素焼きのカップのお茶をはじめ、ココナツの実、カレー味のピーナツ、ゆで玉子、へんてこボールペン、怪しげな目薬など次から次へいろいろな物売りたちがやってきて、長い時間の列車の旅も決して退屈さを感じさせない。もしかしたら、物売りのおじさんたちは、乗客を飽きさせないためのインド国鉄のサービスなのかも知れない。

   シャンティニケタンとダゴール大学
ダゴール大学のあるシャンティニケタンは、典型的なベンガルの農村の中にある。
カルカッタのハウラー駅より約3時間半ポルプール駅で降リる。インドの旅に馴れた人なら、たった3時間半で行けるずい分近いところなのだ。
 大学までは、リキシャで約15分。2-3分もすると町を離れ、もうそこは東西南北地平線で、大草原が続く。10分も乗るとこんもりした林が見えてくる。その中に大小の近代的な建物やら古い建物がぼっつんぼっつんと建っていて、別に門があるのでもなく、大自然の延長に大学があるという感じなのである。
我々には羨ましいくらいに広い。
 木々に囲まれた一角に研究室やら教室が立ちならび、研究所内の庭には芝生が植わり、花が咲きほこっている。研究所には、それぞれ神様のプロンズやらレリーフが、どこにでも見られ、途中、グランドで、サッカーやテニス・クリケットなどをする学生をみることがでさる。日本のせせこましいキャンパスからすると別天地なのだ。こんなところで、スケポーやらフリスビーまた早朝にジョッキングなどしたらたまらなくいい気持になるだろう。
 学生たちも気軽に声をかけてくれる。一緒に茶店などに入って話しをするのもたのしい。日本人の留学生もかなり多くいるので、なつかしい日本の話しや、日本の流行歌などを歌ってあげると喜んでくれる。
また、タゴールの記念館もあり、また美術大学の指導によるいろいろな民芸品の販売も行なわれている。とくに、色鮮やかな織り物でできた肩かけバック(約8ルピー)や、小さなテラコッタの人形もおもしろい。そうした民芸品は学生のアルバイトによるものだ。
 また、本屋がたくさんあるので、専門書などを買うのもいいだろう。ドルがそのままルピーで日本の半額位で買える。
 宿泊に関しては、駅の近くにあるツーリストロッジに泊まるのがいい。ドミトリーだと7ルピー位で、ロッジで食事もとれる。ただ英語がほとんど通じないが、なんとか手振り身振りで通じるから心配しないでいいと思う。
 電気も時間制によって、ある一定時間しか使用できない。ランプで食事をするのもなかなかいいものだ。
町にはレストランもあり、学生達がたむろしている。駅の中にもレストランがあり、そこのカリーがおいしいので食べてみるといいだろう。


   サンタル族の集落
シャンティニケタンから、インドの少数民族のひとつ、サンタル族の集落に行くこともできる。
サンタル族というのはインド先住民族のひとつともいわれ、他のベンガル人とはちがう文化・生活様式をもっている人々だ。
 そこにいくには、大学のあるところから、ひとつ川を越えて自転車で約1時間かかる。
やわらかい輪隔の家に住み、家々の壁は、花や人物などの、すてさなレリーフで飾られている。このレリーフはおまじないなのかも知れない。
 ここの男の人たちは、ふんどしのように短かい腰巻(ドウティ)きをいる。そして、彼らの話ししているのは、ヒンィー語ともベンガル語ともちがう独白の言葉なのだ。
もし、ここに行くのなら、ある程度の予備知識をつけておこう。それには、タゴールの大学の学生たちにたずねてみるのもいいだろう。
 ビシュヌプールもシャンティニケタンでも、緑の自然に、大きくつつみこまれながら人々は、平和な毎日を送っている。そして人々は、素朴で朗らかだ。「ハロージャパニ」の客引きばかりがインドじゃない。こういった小さな農村こそ、インドの本当の姿なのだ。
 ビシュヌプールやシャンティニケタンなど、ベンガル州の旅の案内は、カルカッタのインフォメーションセンターでたずねられる。そこで、バスのチケットやツ一リストロッジの予約についてもきいてみよう。