ちょっとシムラへ

シムラ

http://www.za.ztv.ne.jp/m-family/simla.htm
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   ちょっとシムラへ
 3月3日の朝に、ラホール駅前から12番バスで、パキスタンとインドの国境であるWaghaボーダーに行く。
途中Jeromoという村がある。この村にはハエが群がっているが(インドではありふれた光景だが)、もしここでバスから降りるのが気にならないなら、ラホール駅前から17番バスに乗ってもこの村までは来れる。
 Waghaまではここから3マイルはどなので、小型トラックの荷台に来せてもらって行ってもよい。運賃は2〜3ルピーでよい。
 ボーダーでパキスタン出国インド人国の手続きを済ませたら、タクシーを拾ってAmritsarへ向う。
タクシーの運転手とは乗る前によく交渉する必要がある。年々値上りしているようだが、最低でも1台30ルピーはする。相剰りすれば人数分で割ることになるので乗る前にそばにいる旅行者に声をかけるとよい。
 Amritsar発12:45のデリー行きのexpress(急行)に乗る。デリーまでは10時間ちょっとで行くが、その中間にAmbalaという駅がある。

 Simlaへ行くにはまずここでローカル線に剰りかえなければならない。Ambalaには夕方5:45に着いた。
ここからKallkaという町まで支線が延びている。15分の乗り継ぎで6:00にAmbalaを出たがKallbには8:45に着いた。
 もう町は真暗やみで、ただでも暗いインドの町は、知らない者にとっては、黒いかたまりのようにせまってきて、インドの旅行に慣れていても夜に知らない駅を降りるときは身構えてしまう。

 ここからSimla行きの登山列車が出ている。
しかしもう朝を待たないと列車はないので、ここで一泊することになる。
駅でつかまえた少年クメール君が親切にチーバーホテルを紹介してくれた。
彼と食事をしながら、明日のSimla行きの海草の発車時刻や、座席が容易に確保できるかなど、必要なことを開いてみた。

 Simla行きの汽車は朝7:30にKallkaを出発する。Simlaまでは90kmだが、6時間もかけてゆっくり登って行く。ダージリンと同様にミニゲージの汽車がたっぷりと山の景色を楽しませてくれるが、最近では蒸気機関に代わって、ディーゼル機関車が多く使われている。

 インドでは一人で旅行していても、退屈することがない。それどころかまわりにまとわりつくインド人から解放されたくなることさえある。

 3月と言えばここでも春である。しかしSimlaでは、3月から7月までを夏、8月から11月を秋、12月から2月までを冬と言い、春がない。つまりそのくらい急激に、3月の始め頃に気候がよくなるのである。

 登山列車のとまる駅はどれも小ぎれいにペンキが塗られており、花が咲いている。
インド亜大陸ではこの頃雨などほとんど見ないが、列車の外は雨が降つている。何となく日本の春雨のような気がする。寒いのでTシャツを2校着てその上にサファリシャツを着た。

 1:30にSimla駅に着いた。窓の外をのぞくと、ヨーロッパ調の赤い屋敷が針葉樹の間に高さを競うように立っている。そしてシムラの町全体は、山の腹の部分にへばりついている。
 駅を出ると、意外に静かである。というのはインドの観光地ではどこでも、客引きと、力車と、タクシーが騒々しい雰囲気をかもしだすからであるが、ここはすべてが澄んでいる。

   ホテルの少年
 それでも一人の少年の客引きにつかまった。彼は荷物を取り上げて、先を歩き出した。
普通だったらこういう時は、荷物を取り返してほかのHotelを捜すが、少年の顔は色白で丸く肥えている。
これは金に困つていない証拠であるので、ついて行くことにした。
 駅から右手の方向に歩くと道は2手に別れて、左側のトンネルのある道を行くとそのHotelがあった。
そこはHotel Lord's Greyと言って、まだ新しいコンクリート3階建の灰色の建物である。
一泊15ルピーというので、観光地にしては安いと思って悦に入っていると夜になってベッドには薄い毛布しかないのに気づいた。ふとんを要求すると、2ルピーだという。1ルピーにまけさせた。
 ホテルの名刺には、All Room withattached Europian style bath roomsと歌っているが、2日間、部屋では湯も水も一度も出なかった。いつも少年がバケツでもって来た。少年の名はM.K.Sethという。このホテルのマネージャーの息子である。切手集めが趣味だそうだ。

 翌日、彼を連れてセーターを買いに行った。
要領よく、セーターなど衣料品を売っているバザールに案内してくれたが、Simlaの町は立体的に覚えておかないと、同じ場所に行けなくなる。ちょっと道をあやまると、階投を登り降りするはめになる。
そしてこの町は、セーター姿の女性が目立つ。色とりどりのセーターと、ヨーロッパ調の町並とが大変よく似合っている。

   インドの軽井沢?と新婚旅行
 Simlaは、スリナガールについでインド人が好む所である。新楯旅行でスリナガールはちょっと遠いという人がこのSimlaに集まる。

 Mall通りにある政府観光局に行ってみた。シムラ近郊のKufriという所には、インドで数少ないスキー場の一つがあると聞いていたので、そこを申し込むと、もう明日の予約はいっぱいだという。
困つているとCllailという所へ行く観光コースを教えてくれた。そこでしようがなく納得することにした。

 Chailに行く観光バスは、朝10時に駅から東に500mほどの所のバススタンドから出発するらしい。
その場所を捜すのに手まどり5分ほど定刻を過ぎてしまった。
あわててChail行きのバスはまだいるかと開くと、まだ来ていないと言う。
20分ほどしてバスが来た。運転手に何時に出るのかと開くと、10:30だという。
そういえば来客もまだ半分ほどしかいない。
これはどうやら観光局の女性が間違えたのかと思い、バスの中で待っていた。
 しかし11時前になっても出発しない。呆れて運転手を見つけて一体何時に出発するのだと聞くと、けろっとして何か急用があるのかという。そうではなく出発の時刻を過ぎているというと、今度は同乗するらしき男が、みんなこれから楽しみに行くのだから、お前も−緒に楽しめと言い出した。
ここで自分の愚かさに気付いた。誰も急がなければならなし人は居ないのである。

 来客は18人だったがそのうち16人が新婚と思われるカップルで、あと2人は、自分と若い都会的なセンスを持った男である。自然とその男とくっくことになった。彼の名はSwaraj Kapporと言い、25オ独身、デリーーのアショカホテルの本屋で仕事をしているという青年である。休暇をとって遊びに来たと言い、明日は恋人がSjmiaに来るそうである。           

 どのインド人の新婚も、手を握り合い、寄りそっているが、ターバンの男あり、膚の白いのから黒いのまで種々雑多で、8組もそろうとインド人の多人種、多様性が目につくが、くっっいているカップルはやはり膚の色が似かょっている者同志である。
 バスにエンジンがかかると、横の2人は待ってましたとばかりに背筋を伸ば背広の前を合わせている。このバスには運転手のはかに、助手の男が1人いるが専門のガイドはいない。客が質問すると運転手か助手が大声で返事をする。
 何か珍しいものが見えれば、座席を立って窓側に寄つて車内は騒然となる。気取ってすわっている者はいない。10分もすれば車内はみな兄弟で、にぎやかに議論が始まる。

 2時間ぐらい山の中を走ると、立派な屋敷にたどり着いた。1000坪ぐらいの西洋風の建物で、昔このPatialaの地域のマハラジャの住んでいた王宮だったが、今はPalaceホテルである。
 MaharajaとMaharaniの住んでいた最高級の部屋でも、150Rsだせばカップルで一泊できるそうである。
この屋敷の見学がこの観光コースのメインだったようで案内人が細かく中を案内し、最上級の部屋ではハスルームまで見せられたが10畳ぐらいの豪華なものだ。
 寝室も居間も昔のままのロココ調というのか絢爛な調度品が置いてあった室内で写真を取ろうとすると、「Poto prohibited 」と言われ、理由を聞くと、案内人は黙ったままで答えなかった。今だに理由はわからない。

 1時間ぐらいすると次の目的地へ向かった。30分ぐらいで着いた所が、学校の校庭のような所である。ここには何があるのかと尋ねると、即座に「highest groud in the world 」と言ってきた。
つまり世界で一番高い所にあるクリケットの競技場ということであった。
我々男2人と10人の新郎は、グランドに出てサッカーを始めた。
その間新婦たちは、グランドのすみでサッカーを見ていたが、変な観光コースである。

  Swaraj Kapoor君とビールで乾杯]
 5時頃Simlaに戻った。Swaraj Kapoor君と7時頃再び会う約束をして別れた。
SimlaのアショカホテルはMullroadの小ぎれいな商店街を駅と反対の石へ西向いの斜面を登った所にある。
細い登り道の中途にはアショカホテルの看板がアーチのようにかかっているが、たどり着くとデリーのアショカホテルとは程遠い、古びたインド式ホテルであった。

 一般に純粋なインド式ホテルは安い。ここもsingleで15ルピーほどで泊れる。
Kapoor君の部屋でチャイを飲んだ後、Mullroadにあるデリコースという酒場でど−ルを乾杯した。
 Mullroadという通りは、インドの各地にある。
どの場合も、インド的なバザールが立ち並ぶ従来の繁華街とは違って、幅の広い通りと近代的なセンスの商店街やレストランなどの建物が並ぶ新しい繁華街である。
ここのMullroadも新しいSimlaの中心街であり、郵便局や電報局やTourist Office など旅行者に必要な所でもある。またすぐ近くにはGaiety劇場や、アイススケート場などもある。
 デリコースは広い室内に、さりげなく丸いテーブルが並んでいるだけの酒場である。
インドのビールはうまい。値投は日本と同じぐらいで、他の物価と比較すると高いが、インド旅行をする間中、アルコールの欲求を満足させてくれる唯一の飲める酒である。
ビールを飲みながらKapoor君と昼間の観光で、新婚さんにいろいろとあてつけられたことなどを話していた。
彼の兄はニューデリーでコンピュータのプログラマーをしているそうで、兄の給料が自分の2倍あると言い、インドではまだそのような技術者が大賓優遇されていると話していた。
彼自身は、ニューデリーの本屋で働いていて、真面目でもの静かな雰囲気が例のインド人のあくの強い感じとは違って、センスの良い気の安まる人だった。

 翌日の10:30にSimla発Ambala行きのバスに乗った。朝早くBus Standに行けば、Delhi行きの直通便もある。 
インドのバスは大変早い。Delhiまで10時間で行ける。始め、直通バスに来れなかったのが惜しかったが、Ambalaに着いてみると、Ambalal⇔Delhi間の急行バスが多いこと。30分毎にバスが出ている。しかも所要時間はたったの4時間で、デリーには夜の9時に着くことができた。