バナラシ(ベナレス)

ガンガ

http://www.za.ztv.ne.jp/m-family/va.htm
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バナラシ(ベナレス)


ヒマラヤ連連山の一隅、標高7000mを地す辺りにあるガンゴトリ永河から流れ出し、インド北部を渡ってベンガル湾へと注ぎこまれる河の長さは、全長が2,510km。
神聖な河として人々から慕われ、女神の名をそのままにガンガーと呼ばれているのが、一般に名高いガンジス河。


ガンガーの流れに沿って、ヒンドウーの聖地が無数に有る。
中でも、河口から、1,200km上流の個所に位置するヴァラナシ(ベナレス)は、ヒンドウの最高にして最大の聖地といわれ、各地から集まって来る巡礼者達が、ガンガーの流れで沐浴斎戒(もくよくさいかい)を行なう場所として知られている。
そういう印象でベナレスという処が有る。

ヴァラナシヘ入るには、空路か、陸路の列車かバスを利用することになる。
もし、時間と関心が有るならば、早朝ヴァラナシに到着する列車の、寝台セカンド・クラスをキープするとおもしろい。
乗り合わせた乗客の内の何人かは、ガンガーの沐浴のために同乗しており、どんな人が、どんな旅をしながらヴァラナシヘとやって来るのかという事に、自然と触れることができるだろうと思う。


ヴァラナシの近代的な駅からGHATへと至る路上で、いろいろなものと出逢ってしまう。

豊かな胸をゆさぶりながら歩くグラマーな女性の牛をながめていると、汗をかきながらメイッパイの荷を頼んだ車を引いている牛にも気づく。働いているのはみんなオス牛。

町に住んでいる男たちは、働らき者が多い。
とはいえ、決して忙がしさに追われているふうには見えない。
ついでに言えば、追われたり追ったりするかのような必然性そのものが、スッポ抜けている。
いちばん熱心にやるのは、旅びとを見つけると声をかけること。次いで、何ごとかの商いを成立させること。
そうでなければ、好奇心をおよがせるか陽かげで休むこと・・・。    

とりあえすなますて
 カンカン照りの陽ざしの下に、大きく枝をひろげた樹が影をつくり、地上にはみだした根っこの上に、毛布を置いて腰かけられるように工夫がしてある。
コップが数個、大きなヤカンがひとつ。水の入ったコップ洗い用のバケツ。持ち運びのための麻袋が、おもな装備。


ヴァラナシ路上で見かけたチャイ(茶)ショップは、木蔭を利用しただけの、シンプルなもの。
オヤジさんは、ストーンな眼と人なつっこい笑顔で合掌しながら「なますて」という。
旅びとは、チャイと一諸に、コップの中に浮いている母なる大地の一部を、飲みほすことができる。


GHATへ向かって更に進んでいくと、門前町のならわしに従って、突然みやげ物売りのお店と路上売りの群れのただ中に身を置いてしまうことになる。
雑踏。人と人がひしめき合い、波のうねりさながらに交錯し、物売りの声は飛び交う。


遠方からの巡礼者。家族連れの参拝者。ヴェールで顔を覆った婦人たち。上品なヨーロピアン旅行者。やだらに肥えたカーストの上の方の亭主らしき人。回教徒の人達。長髪のフリーク。旅行者のガイドをやる青年。客引きに走り廻る少年達。チベッタン、日本の若い人。


ごった返す人出の合間から抜け出して、別の道からGHATへ出る方法も有る。
リキシヤに頼むと運んでくれるけれど、いったん河へ出てすぐに細い露地の奥へ案内してくれる。
人ひとりようやく通り抜けられるはどの狭い所を通りながら、両側の高い壁や上方かすかに見える空の一部をながめたりする内に、方向感覚がなくなり、どこに居るのか位置が判明しなくなる。
やがてひとりの部屋に通される。シタール・シルク・サリー・マンダラなどのおみやげを何か買わないと、そこを出られないような募囲気につつまれる。
その狭い露地の中にある家の中で、10歳前後の子供達が夜遅くまで、黙々と織機の前に座してシルクを織っている。
そんな迷路を通ったりしながら、とにかくガンガーヘ出る事になる。


観光パスに乗ると、周辺のめぼしい所へ運んでくれる。
又、案内用のあんちゃんやリキシヤの運転手さんに頼んでも、同じようなコースヘ運んでくれる。
ガンガーには船があるので、乗せてもらえる。希望すれば、対岸へも渡ってくれる。(すべて有料)


日の出の時刻が近づくと、人々はRAMGHATに集まり、沐浴を始める。
それから日没まで河辺から人影の絶えることはない。
裸身・半裸の集合体。
大きな陽よけのかさの下に、台座がつくられ、白い衣をまとった人が坐している。
時に瞑想し、時には横になって睡眠している。ヒンドウーの憎たちだ。
岸辺には、石で築かれた古い建物がならぴ、ガンガーの流れと共に居住している人々の姿が見られる。
近くにとりつけられたスピーカーから、ヒンドウーの祈り歌が、流されつづける。


GHATの上流で、日没近くになると遊んでいる子供達が石段のところにやって来て、じっと立ちつくす。お姉ちゃんがチビの手を握りしめ、弟が寄り添う。
羊か犬がうずくまったりもする。人も動物も、陽の落ちる直前、古い石垣や土や枯木の中に溶けこんでしまい、風景のひとつになったまま、動くことはない。



       ガンガ横丁
タッサスワメード・ガートに向かう通りにあるセントラルホテルの向かいの狭い路地に入ると、そこはもうお祭りの縁日だ。
この路地には、たくさんの人が行きかい小さな屋台のような店がぎっしりと並んでいる。
サリーの店、雑貨店、土産物店など、たくさんの店があるが、特におもしろいのはオモチャ屋だ。
ここには夢を誘う昔ながらの子供の為の素朴な郷土民芸が、店いっぱいに並べられている。しかも、どれもが30円から150円と、とても安いのだ。外人観光客目
当てに作られた、インド風みやげ物よりずっとインドらしくて、インドの子供達の夢がそのまま伝わってくるようだ。
たとえば、手作りの木でできた5cm程の人形の楽団セット、クリシナやシバなどの神様8人セットが3Rsから5Rs。とても色のきれいな島の15コセット、象や虎やキリンなどの動物セットが3Rsから5R8。取手を持って、ぶら下がったおもりを回るように振ると、板の上の3羽の鳥がコツ、コツとエサをつつくオモチャが1Rsなのだ。またその他に、懐かしいセルロイドのキューピーちゃんなんかもある。
この路地をさらに歩いて行くと、そんな店と店の間に、急に神様の像が祭られていたりする。
この先の左側に、政府直営のエンポリウムがある。品数が多いので覗いてみるとよいだろう。
人通りが多くなった四ツ角を左に曲るとヒンズー教の最も格式のある寺院、ゴールデンテンプルがある。ヒンズー教徒しか入れないので、一般観光客は向かいの家の2階に登ってそこから眺めることになる。
もと来た道をさらに奥へ進むと、店の数も少なくなり、民家が多くなってくる。
そしてやがてガンガのガートに出る。
このガートぞいに南に下ると、KALと呼ばれる死体焼き場に出る。ここで焼かれる人は、天命をまっとうして死んだ人のみで若くして病気やけがで死んだ人は、ここでは焼いてもらえない。ただし地獄の沙汰も金次第という例外もあるようだ。男性は白い衣、女性は赤い衣につつまれて焼かれ、その灰は聖なるガンガに流されガンガに帰ってゆく。
そのガートの下流では、人々が汰浴し、顔を洗い、食事をし、洗濯を、商店をしたりしている。このガンガ自体が、一つのマンダラのような気がする。
KALを過ぎてガートをさらに下ると、ネパール寺などがあり、やがて元のタッサスワメード・ガートに戻って来る。
なお、女性の汰浴する姿とKALの写真撮影は一般に禁止されている。ただポートに乗り、ガンガの中からガートをながめながら写真撮影きをすることはできるので望遠レンズがあると良いだろう。小形ボートは1時間2Rsぐらい。