ヒマラヤ山歩き、その2

トレッキング

ポカラからダウラギリのよく見えるゴラパニ峠まで(往復5〜6日)のコース

 年末の12月30日、カトマンズのツクチェピークゲストハウス(ホテル)の支配人の「トラちゃん」にトレッキングのガイドを紹介してくれるように頼んだら、このホテルの現地に詳しいグルガ族の使用人を付けてくれた。
 私と神戸市役所職員のAさんとガイドと3人で、アンナプルナとダウラギリのよく見えるゴラパニ峠まで山登り(トレッキング)をすることになった。

 カトマンズでの12月の気候は、日本よりも温暖だ。朝霜は降りるがめったに氷が張ったりはしない。ポカラはここよりも少し暖かい。どちらも町中ではセーターとジャンパーで十分だが、ヒマラヤのトレッキングとなるとそうはいかない。カトマンズのトレッキング会社にいって、厳冬用のフランス製羽毛のシュラフ(寝袋)とダウンジャケットをレンタルした。

 朝7時にポカラ行きの乗合マイクロバスに乗り昼1時過ぎにポカラについた。
ちょっと休憩をしてから、まだ時間があるのでポカラでは泊まらずこのままトレッキングを始める事にした。
 
 天気は晴れ。てくてくと川伝いに山に向かって歩き出した。途中にチベット人の集落を過ぎ、4時ごろシルヘという集落に着いた。
 ここまでは割りとなだらかな道だったが、もうすぐ真冬の夕陽が沈むので、ここで泊まることにした。民宿といっても普通の農家の土間に寝かせてもらうだけなのだが、そこの家族と一緒にご飯と鍋のカレー汁を食べさせてもらうのだ。時々お客用に乾燥した肉をその汁に入れてふんぱつしてくれる事もある。
 山間の夕暮れは早い。みるみるうちに山の斜面を照らす夕陽の影は斜面をを駆け上がり、日差しがなくなったら夕陽もあっという間に隠れてしまった。
あたりは本当に静かな静寂が訪れた。

 翌朝7時過ぎ、夜が明けて、あたりが明るくなるとさっそく出発した。
ここからは、昨日の平坦な道と違って、いよいよ山の斜面を登る事になった。時間がかかる割りに距離が稼げない。1時間ほど登ると15分ほど休憩を取って進む。もちろん我々が初心者だからだが、普段体を鍛えていない我々には結構きつい。

 昼過ぎにナウダンダ(9の丘)という割と大きな集落に到着し、そこで昼食を取った。ここでパスポートとトレッキンゴ許可のチェックがあった。またここで、山から降りてきたトレッカー達(白人)に合った。彼らは皆「すばらしい景色だよ」「あなた達も楽しんできてね」「怪我をしないよう気をつけて」などと言ってくれた。

 夕方、チャンドラコート(月の宮殿)で泊まる事にした。
はき慣れたウォーキングシューズなのに、靴擦れをしてしまい、豆ができ、それがつぶれて痛い。
薬も無いので、外の小川に足を浸すと、すごーーーーく冷たくて、痛みが無くなった・・・というより足の感覚がマヒした。
 この民宿(農家)の家族は夫婦と赤ん坊を入れた子供3人の5人家族だ。民族はタカリ族だ。
その家族とガイドに通訳をしてもらって(英語があまり通じない)いろんな話をした。タカリ族は数を数える時「いち」「に」「さん」「し」と日本と同じ発音で数える。はるか昔、日本人とタカリ族との間には何かのつながりがあったのだろうか?
 私は小さなスケッチブックを出して、小学校低学年くらいの子供と絵を画いて話をした。人の体を画いて手は何と言うのかとか足は何と言うのか、やり取りをしていると大人達も参加してきてにぎやかになった。オチンチンを画いて何と言うかと聞くと、奥さんは大笑いをしてバカ受けした。この国の女の人が大笑いするのをひさしぶりに見た。

 夜、寝る時に家族は奥さんを中心に一枚の毛布(布団)の中に全員がもぐりこむ。
もちろん電気も来ていないので、家の明かりは石油ランプだけである。そのランプも消されると暗い静寂が訪れる。
 さすがにここまで来ると、夜が寒い。服の中にさらに服を着込んでも、しんしんと寒さがしみ込んでくる。目が覚めて眠れない。外に出ると真っ暗な闇の中に満天の星・・・天の川(ミルキーウェイ)がはっきりと見える。日本でも、私が小学校の頃は家の近くの公園から天の川が見ることができたけれど、今は全く見ることができなくなってしまった。何年ぶりだろう、こんなにはっきりと天の川を眺めるのは・・・。
そのあと、シュラフ(寝袋)の中に新聞紙を引き詰めてようやく眠る事ができた。