ヒマラヤ山歩き、その3

ヒマラヤ

ヒマラヤ山歩き、その3

 朝になると家の前の石畳の階段から、朝日に輝くアンナプルナサウスがすごくきれいに見れた。
 朝日にあたりながらじっとしていると、暖かい。日光浴?だ。他の外人たちも同じ事をしている。顔を合わすと、お互いに無言のままにっこりと微笑んだ。今日もいい日になりそうだ。

 今日は一日中山道を登ったり下ったり、つり橋を渡ったり、歩きどうしで、足の豆が硬くなった様な気がする。
振り返ると、さっき登ってきた村落がはるか下の方に小さく見える。

 この日はようやく目的地のゴラパニ(馬の水)に到着してここで泊まった。いよいよ明日、ダウラギリを拝める。
翌朝まだ夜が明けないうちにゴラパニから見晴らしの良いカカニの丘に登った。
1月1日新年のご来光をヒマラヤのダウラギリと共に拝んだ。最高の気分だ。
この感覚はやはり実際に体験しないと分からないかもしれない。

 昼前に、ポカラに向かって下山することにした。
帰りは楽だ。下りでもあるし、一度通った道なので気が楽だ。
他のトレッカー(登山者)たちとすれ違うとき「ハッピーニューイヤー」と互いに言い合った。
 その日は4時過ぎにヒレという集落で泊まることにした。
宿泊した家には、牛1頭と母ヤギと小ヤギ、それに犬がすべて放し飼いにされている。家畜たちは家の前の斜面の草むらで、勝手に草を食べている。
牛はこの家の主人が、家の前の猫の額のような畑を耕すのに使われている。
小さな女の子が二人、その家畜の世話をしている。みな素朴な笑顔のかわいい子供たちだ。
 彼女たちはよく家の手伝いをする。夕方になると、彼女たちが家畜たちの近くに行き、手で追うまねをすると、家畜たちは勝手に家の横の家畜小屋に入っていく。
その横の土間のかまどでは奥さんが夕食の準備をしている。
犬がそのかまどの近くで暖を取りながら寝ている。
 電気もないから、テレビやラジオをない。勉強机もないし、オモチャもない。
それでも、この家族は平和な生活をしている。
何か大切な物の一つを、現代の私たちはどこかに置いてきてしまったような気がした。
人の手のひら(心)の大きさは決まっていて、一杯になると何かを入れると何かを捨てなければならないのかもしれない。

 この家の前には、斜面が続く山道にはめずらしく、ちょっとした広場がある。
25メートルプールぐらいの広さだ。何のための広場か気に留めなかったが、すぐに分かった。
というには、下の集落からロバたちが20頭ほど背中に荷物を背負って登ってきた。
実は、この広場はこのロバたちの休憩場所だった。
 広場の隅で荷物を降ろされたロバたちは、走って広場の真中に行きひっくり返って背中を地面にこすりつけるのだ。
まるで犬や猫がするように、実に気持ちよさそうに背中を地面につけて転げ回るのだ。
「アー疲れた、肩がこったよ、やれやれ」と言わんばかりに。今夜はここで泊まるようだ。
 こうやって、何年も、何十年も、いや何百年も、ロバたちはヒマラヤの山奥まで荷物を背負って人々の生活を支えてきたのだろう。

 ヒマラヤの景色もすばらしかったが、人々の生活も私には景色に負けないぐらいすばらしかった。
 こうやって私の6日間のトレッキングは終わった。

 ちなみに、ゴラパニからもう一日足を伸ばすと、温泉のあるタトパニまで行ける。
ここには日本人(平尾さん)がやっている宿がある。
それより先に進むと、いよいよ険しくなり高山病になりやすい。
が、ダウラギリはさらにまじかに見ることができる。

 このあたりまでは、真冬用寝袋、ダウンジャケット、セーター、リュック、軽装登山靴で登る事ができる。
しかし、さらに民家も無い山奥に進む場合は、テントやさらなる防寒具などの重装備が必要となる。