ガンジャ

ガンジャ


マリファナを練り固めて粘土状にした物。
もちろん日本では禁止されている。
所持しているだけでも大麻法で逮捕される。
もしそうなれば、社会人であれば会社は解雇され、学生であれば退学させられる。
日本では決して手を出さない事。

インドやネパールでも一応は禁止されている。
が、しかし、一部の州では禁止されていないところもある。
ただ、現在は全ての州が禁止されていると思った方が良い。

1970年代は、インドでは、政府の経営している国営ガンジャショップもあった。
たとえば、ダージリンの国営ツーリストバンガローのすぐ近くにあったりした。(今は無い)
そこでは、この地元のガンジャ南インドガンジャ、ネパールのガンジャなどと銘柄を選ぶ事もできた。
まるで日本のお茶屋で、宇治茶静岡茶、伊勢茶などと選ぶように。
ハードなボンベイブラック、ヘビーな南インドのクマリ、マイルドなネパリ、軽いアフガン、ハイなブッダスティックなどそれぞれに利きがちがう。
マりファナのもとの木はどこにでもある麻の木なので、布を織ったり、ロープを作ったり、鳥のえさだったり日常のどこにでもあり、安ホテルの庭に自然に生えていたりする。
   

ガンジャは祭りと関係が深い。
オオクマ君はバラナシの祭りの日、道ばたで祭りの人たちにガンジャを勧められ、それをご馳走?になり、一緒になって祭りに参加した。
そうすると、地元の人たちと同じ意識で祭りの本当の楽しさを体験できたそうだ。

ガンジャを勧めはしないが、もしすることがあれば、貴重品は必ず安全なところに預けておく事。
心配事があると、すごく悪いトリップをする。また行動がにぶくなるので盗難にあいやすいので気をつけること。
気の知れた仲間と一緒に楽しむ事。楽しみが倍になるハッピーなトリップができるだろう。
ガンジャのことを取り立ててオーバーに言うつもりは無いが、確かに楽しさなどが倍に感じられたりする。その反対に悪い場合は恐怖や心配事が倍になったりもする。
また音楽などを聴くと、普段では聴き分けられないような音や旋律が一音一音聴こえたりする。リードにかくれて聴き取れないサイドギターの音や歌声の後ろのバックバンドの演奏などが良く聴こえたりする。
ジャマイカレゲーのアスワドのショーケースという曲などを聴くとすっかりハマってしまう。

ただ気をつけなければならないのが、絶対に国外に持ち出さない事。
ミャンマーなどでは、税関で見つかり10数年刑務所に入れられている日本人もいるらしい。国交がないと日本政府すら手が出せないし、また国交があったとしても、日本政府も罪を犯した人を大ぴらに救済できない。
税関で見つかると、必ずその国の刑務所に入れられると考えた方が良い。
日本への持込は、麻薬犬にかかれば逃げられない。刑務所と数十万円の保釈金。その金があれば何度もインドにいける。割に合わない。

参考文
〓「プーリー」の「健康はバングジュースから」と「ガンジャショップ」
〓「インド・ネパール精神世界の旅事務局」の「コーショー旅日記」の「オプション、マリファナツアー?」
〓「ボンベイ」の「いっぷく ひと夢 いちルピーなり」
詳しくは
http://www7b.biglobe.ne.jp/~tic


プレーガイドジャーナルツアー

KOSYO2006-05-27

 ある年末、大阪のプレイガイドジャーナル社の募集したネパールツアーの添乗員をしたときのことです。
 プレイガイドジャーナルとは、当時大阪のイベント情報やアルバイト情報などの画期的なタウン誌で(今の「ぴあ」のはしり)でした。中の「バイトくん」という4コママンガを画いていたのが「タブチくん」「となりの山田君」の”いしいひさいち”さんでしたし、その他大阪の新鋭の作家や、多くのミュージシャンが紙面作りに参加していました。そしてTICも大阪の同じビル内にオフィースを出していました。                          
  ネパールツアー
 その年の年末、なんだかんだと訳ありげな(大阪でいろいろな活動をされている)18人の客を連れてネパールツアーに出発しました。 その時の私は、なにしろバリバリのインド帰りでしたから、言う事に迫力があったせいか、全員私の言う事をよく聞いてくれました。
 
  オプション・マリファナツアー?
 翌日「マリファナを吸いたい」という希望がたくさんあったので、それならいっそうの事しょうもない事をせずに最初からベスト体験をしてもらおうという事で「プレジャールーム・ツアー」を企画しました。
 1976年当時は、ヒッピーやフラワーチルドレンなどのブームもあって、映画では「イージーライダー」や「アリスのレストラン」などのマリファナを扱った作品も結構ありましたし、海外や国内のミュージシャンもやっていた時代でしたので、そういう要望が出たのでしょう。また当時はネパールでは観光旅行者誘致のためマリファナは違法ではありませんでした(現在は違います)。
 マリファナに関心のある人はほって置くと勝手にいろんなことをやりだすので、トラブルを起したりしやすく、かえって危険です。それなら最初から私の見えるところから教えた方が安全だと思ったわけです。
 食事の済んだ夜、フリークストリートの奥にある「プレジャールーム」というマルファナ専門店に十数人を連れて出かけました。勝手知ったるカトマンズの街ですので歩いて出かけました。その店は昔のロック喫茶のような店で、JBLの大型スピーカーにSONYのステレオデッキでロックの曲をガンガン流しています。そしてその店でマリファナをパイプで吸わせてくれるのですが、その他にその店のメニューが何と「マリファナティー」「マリファナケーキ」 「マリファナパイ」などと、飲むことも食べることもできるのです。パイプで吸う場合はマリファナはそのまますぐに効いてきて軽いハイになるのですが、飲んだり食べたりした場合は胃から吸収されるため、しばらくたってから一度にドンと体中に効いてくるのです。慣れていないと戻したり、悪酔いをして大変なバッドトリップをする場合があります。
 私はそのことを皆に詳しく説明して、食べる場合はケーキー1個を丸ごと食べるのではなく1/3ぐらいづつ食べるようにさせました。それでも慣れていない人は変な方向にトリップするので、私が軌道修正をしてバッドトリップしないようにするわけです。 
 音楽に酔いしれる人、大声で笑い出す人、じっと黙りこんで自分の世界に浸る人、などさまざまです。 2時間ほどハッピートリップを楽しんでから、全員を連れてホテルに帰りました。その帰り道でも自分がどこにいるか分からなくなった人や、大声で騒ぐ女の人やらでさまざまでした。ともかく全員無事にホテルの部屋までお送りしてその日のパーティーはおひらきになりました。翌日から彼らは、以前にまして私の言うことを良くきってくれるように様になりました。これでいいのかな?
 そうして、第一回プレイガイドジャーナルネパールツアーは盛況の内に無事終わる事ができました。   

ヒマラヤ山歩き、その3

ヒマラヤ

ヒマラヤ山歩き、その3

 朝になると家の前の石畳の階段から、朝日に輝くアンナプルナサウスがすごくきれいに見れた。
 朝日にあたりながらじっとしていると、暖かい。日光浴?だ。他の外人たちも同じ事をしている。顔を合わすと、お互いに無言のままにっこりと微笑んだ。今日もいい日になりそうだ。

 今日は一日中山道を登ったり下ったり、つり橋を渡ったり、歩きどうしで、足の豆が硬くなった様な気がする。
振り返ると、さっき登ってきた村落がはるか下の方に小さく見える。

 この日はようやく目的地のゴラパニ(馬の水)に到着してここで泊まった。いよいよ明日、ダウラギリを拝める。
翌朝まだ夜が明けないうちにゴラパニから見晴らしの良いカカニの丘に登った。
1月1日新年のご来光をヒマラヤのダウラギリと共に拝んだ。最高の気分だ。
この感覚はやはり実際に体験しないと分からないかもしれない。

 昼前に、ポカラに向かって下山することにした。
帰りは楽だ。下りでもあるし、一度通った道なので気が楽だ。
他のトレッカー(登山者)たちとすれ違うとき「ハッピーニューイヤー」と互いに言い合った。
 その日は4時過ぎにヒレという集落で泊まることにした。
宿泊した家には、牛1頭と母ヤギと小ヤギ、それに犬がすべて放し飼いにされている。家畜たちは家の前の斜面の草むらで、勝手に草を食べている。
牛はこの家の主人が、家の前の猫の額のような畑を耕すのに使われている。
小さな女の子が二人、その家畜の世話をしている。みな素朴な笑顔のかわいい子供たちだ。
 彼女たちはよく家の手伝いをする。夕方になると、彼女たちが家畜たちの近くに行き、手で追うまねをすると、家畜たちは勝手に家の横の家畜小屋に入っていく。
その横の土間のかまどでは奥さんが夕食の準備をしている。
犬がそのかまどの近くで暖を取りながら寝ている。
 電気もないから、テレビやラジオをない。勉強机もないし、オモチャもない。
それでも、この家族は平和な生活をしている。
何か大切な物の一つを、現代の私たちはどこかに置いてきてしまったような気がした。
人の手のひら(心)の大きさは決まっていて、一杯になると何かを入れると何かを捨てなければならないのかもしれない。

 この家の前には、斜面が続く山道にはめずらしく、ちょっとした広場がある。
25メートルプールぐらいの広さだ。何のための広場か気に留めなかったが、すぐに分かった。
というには、下の集落からロバたちが20頭ほど背中に荷物を背負って登ってきた。
実は、この広場はこのロバたちの休憩場所だった。
 広場の隅で荷物を降ろされたロバたちは、走って広場の真中に行きひっくり返って背中を地面にこすりつけるのだ。
まるで犬や猫がするように、実に気持ちよさそうに背中を地面につけて転げ回るのだ。
「アー疲れた、肩がこったよ、やれやれ」と言わんばかりに。今夜はここで泊まるようだ。
 こうやって、何年も、何十年も、いや何百年も、ロバたちはヒマラヤの山奥まで荷物を背負って人々の生活を支えてきたのだろう。

 ヒマラヤの景色もすばらしかったが、人々の生活も私には景色に負けないぐらいすばらしかった。
 こうやって私の6日間のトレッキングは終わった。

 ちなみに、ゴラパニからもう一日足を伸ばすと、温泉のあるタトパニまで行ける。
ここには日本人(平尾さん)がやっている宿がある。
それより先に進むと、いよいよ険しくなり高山病になりやすい。
が、ダウラギリはさらにまじかに見ることができる。

 このあたりまでは、真冬用寝袋、ダウンジャケット、セーター、リュック、軽装登山靴で登る事ができる。
しかし、さらに民家も無い山奥に進む場合は、テントやさらなる防寒具などの重装備が必要となる。

ヒマラヤ山歩き、その2

トレッキング

ポカラからダウラギリのよく見えるゴラパニ峠まで(往復5〜6日)のコース

 年末の12月30日、カトマンズのツクチェピークゲストハウス(ホテル)の支配人の「トラちゃん」にトレッキングのガイドを紹介してくれるように頼んだら、このホテルの現地に詳しいグルガ族の使用人を付けてくれた。
 私と神戸市役所職員のAさんとガイドと3人で、アンナプルナとダウラギリのよく見えるゴラパニ峠まで山登り(トレッキング)をすることになった。

 カトマンズでの12月の気候は、日本よりも温暖だ。朝霜は降りるがめったに氷が張ったりはしない。ポカラはここよりも少し暖かい。どちらも町中ではセーターとジャンパーで十分だが、ヒマラヤのトレッキングとなるとそうはいかない。カトマンズのトレッキング会社にいって、厳冬用のフランス製羽毛のシュラフ(寝袋)とダウンジャケットをレンタルした。

 朝7時にポカラ行きの乗合マイクロバスに乗り昼1時過ぎにポカラについた。
ちょっと休憩をしてから、まだ時間があるのでポカラでは泊まらずこのままトレッキングを始める事にした。
 
 天気は晴れ。てくてくと川伝いに山に向かって歩き出した。途中にチベット人の集落を過ぎ、4時ごろシルヘという集落に着いた。
 ここまでは割りとなだらかな道だったが、もうすぐ真冬の夕陽が沈むので、ここで泊まることにした。民宿といっても普通の農家の土間に寝かせてもらうだけなのだが、そこの家族と一緒にご飯と鍋のカレー汁を食べさせてもらうのだ。時々お客用に乾燥した肉をその汁に入れてふんぱつしてくれる事もある。
 山間の夕暮れは早い。みるみるうちに山の斜面を照らす夕陽の影は斜面をを駆け上がり、日差しがなくなったら夕陽もあっという間に隠れてしまった。
あたりは本当に静かな静寂が訪れた。

 翌朝7時過ぎ、夜が明けて、あたりが明るくなるとさっそく出発した。
ここからは、昨日の平坦な道と違って、いよいよ山の斜面を登る事になった。時間がかかる割りに距離が稼げない。1時間ほど登ると15分ほど休憩を取って進む。もちろん我々が初心者だからだが、普段体を鍛えていない我々には結構きつい。

 昼過ぎにナウダンダ(9の丘)という割と大きな集落に到着し、そこで昼食を取った。ここでパスポートとトレッキンゴ許可のチェックがあった。またここで、山から降りてきたトレッカー達(白人)に合った。彼らは皆「すばらしい景色だよ」「あなた達も楽しんできてね」「怪我をしないよう気をつけて」などと言ってくれた。

 夕方、チャンドラコート(月の宮殿)で泊まる事にした。
はき慣れたウォーキングシューズなのに、靴擦れをしてしまい、豆ができ、それがつぶれて痛い。
薬も無いので、外の小川に足を浸すと、すごーーーーく冷たくて、痛みが無くなった・・・というより足の感覚がマヒした。
 この民宿(農家)の家族は夫婦と赤ん坊を入れた子供3人の5人家族だ。民族はタカリ族だ。
その家族とガイドに通訳をしてもらって(英語があまり通じない)いろんな話をした。タカリ族は数を数える時「いち」「に」「さん」「し」と日本と同じ発音で数える。はるか昔、日本人とタカリ族との間には何かのつながりがあったのだろうか?
 私は小さなスケッチブックを出して、小学校低学年くらいの子供と絵を画いて話をした。人の体を画いて手は何と言うのかとか足は何と言うのか、やり取りをしていると大人達も参加してきてにぎやかになった。オチンチンを画いて何と言うかと聞くと、奥さんは大笑いをしてバカ受けした。この国の女の人が大笑いするのをひさしぶりに見た。

 夜、寝る時に家族は奥さんを中心に一枚の毛布(布団)の中に全員がもぐりこむ。
もちろん電気も来ていないので、家の明かりは石油ランプだけである。そのランプも消されると暗い静寂が訪れる。
 さすがにここまで来ると、夜が寒い。服の中にさらに服を着込んでも、しんしんと寒さがしみ込んでくる。目が覚めて眠れない。外に出ると真っ暗な闇の中に満天の星・・・天の川(ミルキーウェイ)がはっきりと見える。日本でも、私が小学校の頃は家の近くの公園から天の川が見ることができたけれど、今は全く見ることができなくなってしまった。何年ぶりだろう、こんなにはっきりと天の川を眺めるのは・・・。
そのあと、シュラフ(寝袋)の中に新聞紙を引き詰めてようやく眠る事ができた。

ヒマラヤ山歩き

ヒマラヤ

トレッキング


トレッキングはパーミット(許可書)を取れば、思ったよりも簡単にできる。

    さあトレッキングをはじめよう!

 ジムソン街道及びナムチエバザール街道はポーター(ガイド)も雇わず数人の仲間だけで、トレッキングしている人も多い。
この街道では、宿や食事にはまずことかかない。数時間も歩けば、必ず小さな村があり、そこの農家で宿泊と食事ができる。宿泊料は夕食込みで十数Rs程。食事はネパールデイッシュ(定食)が3Rs程。
 しかし、初心者にはやはり、ポーター(ガイド)を最低一人は雇うことをすすめる。道に迷うといけないからだ。なにしろ街道からそれると、そこにはもうヒマラヤの大自然なのだ。必してヒマラヤを侮ってはいけない。
 ポーターを雇うなら、ホテルのオヤジに頼むと、割りと良い人を紹介してくれる。
料金は1日15Rsで彼の食事はこちらが払う。
山登りが初めてな人や、体力に自信のない人、及び遠くまでトレッキングしたり、雪などの降って気候の悪い時期には、やはりちゃんとしたトレッキング会社を通して、ポーターやガイドを雇うことを勧める。
 ちなみにポカラあたりではタカリ族やグルン族のポーターが多く、エベレストあたりではシェルパ族のポーターが多い。地域によって民族がちがうためだが、皆親切である。

ヒマラヤの見える町 ポカラ

ポカラ

ヒマラヤの見える町 ポカラ

どういうこともない一日に、すこく満足する

貸自転車で、カトマンズ市内を、ちょろちょろ走ってても、ヒマラヤにはタッチできないから、ここはひとつ、ポカラまで出かけて行かねばなるまい。
 バスだとポカラ街道を7時間のドライブ。
飛行機だと、右手に、ゲップが出るほど山々を拝みながらの40分。
ポカラの飛行場の管制塔もなく鉄じょうもで仕切られたちっぼけな滑走路の他には、とりたてて、たいした建物もなくほんとうに田舎の風情。滑走路の敷地内をヤギがたむろする。
飛行場からのタクシーなんかも客が定員(通常5名なら8名)にならないと出発しないし、途中でどんどん止まって客をひろって行くから、大変楽しいものとなっている。


 宿舎は、お金に余裕のある人は、高台からペワタールを見降ろす「フィッシュテル・ロッジ」。
貧乏たれはマウントヴユーホテルと相場は決っている。
ペワ・タール湖の周りにも安宿がたくさんある。

 どちらにしても朝方、突如としてガ・ガ・ガ・ガーンとあらわれいでる、白きヒマラヤのマチヤプチヤリ、アンナブルナ・ダウラギリには手をあわさずにはおれないであろう。うすオレンジに輝く、神秘の山々を前に、チャイをすすったら、もう、死んでも良いとほんとうに思う。というより生きてて正解だったとすぐ悟る。

バスで遠出をしてみよう

バス

http://www.za.ztv.ne.jp/m-family/KAT.html

バスで遠出をしてみよう。


カトマンズ市内とは違ってのどかな田園世界が広がる。
ローカルバスに乗ると、ほんとうに遠くに来て、しかものんぴりとしている自分がうれしくなって来る。
ただし行く時は必ず、帰りのバスの時間etcを調へておくこと。

 長距離バス
長距触バスの発着所は、主に公園横のバス停(ポカラ、カカニダージリンなど)と、郵便局裏のバス停(ポカラ、ビルガンジーなど)に分かれる。
ポカラ行きのバスには主に4杜のバスがありポストオフィスの裏から出発する。

ポカラ行きバス

 ローカルバス
いわば市バスで、客がいれば途中で乗せたり降ろしたりする。1番ローカル色を味わえるバスだ。
朝7時出発して、昼3時頃ポカラシイティー、エアポート前の順に到着する。
料金は22Rs。学割17Rs。

 私営バス
ローカルバスよりは少しきれいで、ポカラに速く着く。最終到着地はレイクサイド。
朝7時に出発して、昼の2時にポカラ着。

 ミニバス
トヨタのマイクロバスで、途中客の乗り降りが少なく、ポカラに速く到着する。レイクサイドまで行く。
朝7時に出発して昼の1時にポカラ到着。

 スイスバス
黄色のデラックスバスで、ほとんどの乗客が外国人の旅行者で一番リラックスできて速い。
朝7時に出発して昼の1時にポカラ到着。
料金はどれも37R8。内容はスイスバスが一番良い。(現在は別の名前の新型バスになっていると思う)

どれも途中の村、数ヶ所で15分程休憩をする。
村にはコーラやチャイ、ミカンなどのくだものが食へられる。
その他にたまにサル使いならぬ熊使いがいて、熊を相手にロ談風に芸を見せてくれたりる。10パイサぐらい見物料を払うとよいだろう。





トイレの設備はないので、草むらの中で済ますことになる。
ランチタイムには、ちゃんと昼食を用意してある村に到着し、そこでタリ(定食)を食べることができる。
タルスープ、カレー、チャツネ、ライスなどがセットになっていて一皿、3Rs程。おかわりは無料。普通は手を使って食べるので、スプーンは頼まないと出てこない。

その他途中に2ヵ所程、パスポートチェックがあり、ビザの有効期間などをチェックしノートにサインをする必要がある。

 カトマンズよリピルガンジー行きバス
ローカルバスが郵便局裏から朝7時に出発する。夕方5時頃ビルガンジーの町に到着する。料金は40R8。国境までは力車か歩き。

 ポカラよりバイラワ行きバス
ローカルバスが、飛行場前と郵便局前から朝7時に出先する。夕方5時頃バイラワに到着する。国境まではバスが出ている。

 カトマンズからダージリン行きパス
郵便局裏バス停より朝7時に出発し、途中1泊し、次の日国境を越えてダージリンに到着する。